
蛇を描くのは、誰よりも早かった。
それなのに、酒を飲めたのは別の人でした。遅れを取り戻そうとして失敗したのではありません。もう勝っていた人が、そこから何かを足して、勝ちを手放したのです。
「蛇足」と聞けば、余計なものを付け加えること。けれど、自分が付け加えている最中には、それが余計だとは思わないものです。

足を描く時間は たしかにあった
昔、楚の国で、数人の人が酒をもらいました。みんなで飲むには足りず、一人なら十分な量です。そこで、地面に蛇を描き、最初に描き終えた人が飲むことになりました。
一人が先に仕上げ、杯を手に取ります。ところが、そのまま飲まずに、蛇に足まで描けると余裕を見せました。その間に別の人が蛇を描き終え、蛇に足はないと言って杯を取り、酒を飲んでしまいます。
先に描いた人は、不器用だったのでしょうか。少なくとも、蛇を早く描く競争では一番でした。失敗したのは、できないことを無理にやったからとは限りません。
「まだできる」が、「まだやる必要がある」に変わってしまった。ここからは、そう読んでみたいと思います。
競争の種目を 一人で変えてしまった
約束は、蛇を先に描くことでした。手数を競うわけでも、他の人よりたくさん描くわけでもありません。
ところが本人は、蛇を描き終えたあとも、自分の余裕を見せようとします。相手がまだ描いているときに待つのは、何もしていないようで落ち着かなかったのかもしれません。これは物語に書かれた心理ではなく、私たちの側からの想像です。
仕事でも似たことがあります。質問に答え終わったあとで、知っていることを全部説明したくなる。必要な情報が見つかる画面に、便利そうな機能を次々と並べたくなる。
追加する理由が、相手のためなのか、自分の力を見せるためなのか。その境目は、案外見えにくいのです。
工夫まで やめなくていい
では、完成したら何も足してはいけないのでしょうか。
そんなことはありません。説明が足りなければ補う必要があります。見落としやすい注意書きも、必要な人に届けば役に立ちます。短ければよい、少なければよい、という話ではないはずです。
この競争では「蛇を描く」という約束が、付け加えてよいものの範囲を決めていました。別の競争なら、足のある空想の生き物が歓迎されたかもしれません。
その工夫がよいかどうかは、工夫の量だけでは決まりません。何を完成させようとしていたのかに戻って、確かめる必要があります。
この小話は 進軍を止めた
『戦国策』でこの話を語るのは、陳軫という人物です。戦いに勝った楚の昭陽が、さらに斉へ進もうとする場面で、もう十分な功績があるのに進み続ければ、手にしたものを失いかねないと説きます。昭陽はその話を受け入れ、軍を引きました。
つまり、酒を取り損ねた人の笑い話は、勝っている人に「ここでやめる」を選んでもらうために使われていたのです。
失敗しているときより、うまくいっているときのほうが、止まる理由を見つけにくい。そこが、この話の少し怖いところです。
もう一筆の前に
いま、仕上がったものに何かを加えようとしているなら、一つだけ聞いてみてください。
「これを足すと、誰の何がよくなるだろう」
答えが具体的に出てくるなら、その一筆には役割がありそうです。思いつく理由が「まだできるから」だけなら、いったん手を止めてもよいのかもしれません。
先に描けた蛇は、そのままでも十分だったのです。
出典:『戦国策』斉策二「昭陽為楚伐魏」。故事のあらすじと前後関係は原典による要約です。現代の例と人物の心理への問いは、この読み物の解釈です。