
後ろは川。前には敵。
逃げ道の少ない場所に陣を構えた漢軍を見て、趙の兵たちは笑いました。追い詰められたらどうするのか。そんな心配をする場所を、韓信はあえて選んだのです。
「背水の陣」は、後に引けない状況で、決意して物事に取り組むこと。まずは、川を背にした兵士たちの姿をたどってみましょう。

川を背にした軍を 敵は笑った
『史記』の「淮陰侯列伝」は、韓信が率いる漢軍と、趙軍との戦いを伝えています。韓信は一万人を先に出し、水を背にして陣を構えさせました。それを見た趙の兵は、笑ったと記されています。
前へ進めば敵がいる。後ろへ下がれば川がある。簡単には逃げられない場所です。敵にとっては、わざわざ不利な場所を選んだように見えたのでしょう。これは、川辺の布陣から考えられる読み取りです。
退いた先で 踏みとどまる
夜明け、韓信たちの率いる軍は趙軍と戦います。やがて退くふりをして、水を背にした部隊のもとへ引きました。趙軍が追ってきます。
合流した漢軍の兵士たちは、川を背にして踏みとどまります。逃げて助かろうにも、後ろは水です。ここで戦わなければ生き残れない。その状況で、力を尽くして敵に向かいました。
趙軍は、漢軍を思うように破れません。この戦いは、やがて漢軍の勝利に終わります。ここまでが、「背水の陣」と聞いて、多くの人が思い浮かべる流れです。四コマも、この川辺の兵士たちを中心に描いています。
ただし、勝利の理由を、必死に戦ったことだけに決めてしまわないようにしましょう。『史記』には、その場面と組み合わされた作戦も書かれています。詳しくは、後のコラムで見てみます。
逃げ場のなさを 韓信はどう説明したか
戦いのあと、韓信は、兵士を逃げ場のないところに置くことで、各自が自分のために必死に戦ったという趣旨を説明します。退路を断って力を引き出す、という読み方は、後世の勝手な付け足しだけではありません。
そのため「背水の陣」には、もう後には引かない、という強い決意が感じられます。大事な試合や試験、期限の迫った仕事などで使われるのも、そのためでしょう。
ただ、苦しい状況をつくれば誰でも勝てる、という約束にはなりません。物語の中で成功した布陣と、いつでも使える成功法則とは、分けて考えたいところです。
コラム 実はそれだけではなかった
川辺の漢軍が敵を引きつけている間、別の場所でも兵士たちが動いていました。韓信が選んだ二千の軽騎兵です。
こうした、本隊とは別の場所で、別の役目を果たすために動く部隊を「別働隊」といいます。逃げ出した兵ではなく、あらかじめ役割を与えられた部隊です。
韓信は彼らに漢の赤い旗を持たせ、趙軍の様子をうかがわせていました。敵が本隊を追って陣地を空けたら、その中に入り、趙の旗を抜いて漢の旗に替えるためです。
川辺での戦いから趙軍が戻ろうとすると、自分たちの陣地に漢の赤い旗が立っていました。陣地が奪われ、王や将軍まで捕らえられたのではないか。『史記』は、趙軍がそう疑って混乱し、逃げだしたと伝えます。そこを漢軍が挟み撃ちにしました。
川辺で踏みとどまる本隊と、敵の陣地で旗を替える別働隊。二つの役割が組み合わされていたのです。韓信は進軍前にも、敵が補給を断つ策を採用しなかったことを確かめています。覚悟だけでなく、情報収集と準備もあったとわかります。
なお、船を沈め、釜を壊す話は、項羽の「破釜沈舟」に関わる別の故事です。韓信の背水の陣と、一つの場面に混ぜないようにしたいものです。
引かない覚悟を 準備で支える
ここからは、仕事や勉強への置き換えです。本番の日が決まったら、覚悟を決めて取り組む。そんなとき、この言葉は背中を押してくれそうです。
でも、わざと準備を減らしたり、休めなくしたりする必要はありません。資料をそろえる。相談できる人を確かめる。途中で進み具合を点検する。決意を、実際に進めるための行動へ変えていきたいところです。
「もう引かない」と決めることと、「ここまで用意した」と言えること。
両方がそろっていれば、川を背にしたつもりの日にも、ただ慌てるのとは違う一歩が出せるかもしれません。できれば、昨日の自分がもう少し準備してくれていると、なお助かります。
出典:『史記』巻九十二「淮陰侯列伝」。本文と四コマは川を背にした布陣と戦いを中心に再話し、作戦の詳しい経緯はコラムに分けました。現代の仕事や勉強への置き換えは、この読み物の解釈です。
こんなときに、ひとこと
「明日の発表は背水の陣。気合いだけで渡らないよう、資料は三回保存した。」
「締め切りまで、あと二時間。背水の陣で書いているが、この川を作ったのは昨日の自分だ。」
どちらも創作した使用例です。後に引けない状況で取り組む意味を保ちつつ、無理の美化ではなく、備えや自分の先延ばしに笑いを向けています。