
「完璧」の「璧」は、壁ではありません。下にあるのは「土」ではなく「玉」。この一文字の向こうに、宝玉をめぐる危うい取引が隠れています。
欠点がなく、申し分のないことをいう「完璧」。その故事に出てくる使者は、宝玉を守るため、まず「この玉にはきずがある」と言い出しました。

十五の城と 一つの宝玉
『史記』の「廉頗藺相如列伝」によると、趙の国に「和氏の璧」という名高い宝玉がありました。強国の秦の王は、それを十五の城と交換したいと申し出ます。城は、城壁に囲まれた都市のことです。
趙王や臣下たちは困りました。渡せば、玉だけ取られるかもしれない。断れば、攻められるかもしれない。豪華すぎる申し出は、喜んで受け取ればよい贈り物ではなかったのです。
使者を引き受けた藺相如(りんしょうじょ)は、城が渡されなければ、璧を完全なまま趙へ持ち帰る、と約束しました。「完璧」の故事は、この約束につながっています。
守りたい玉を 壊すと言う
秦へ着くと、秦王は璧を喜び、周囲の人々へ見せて回しました。相如は、城を渡すつもりがないと見て取ります。そこで、きずの場所をお見せしましょう、と申し出て、玉を手元に取り戻しました。
相如は玉を抱えて柱のそばへ下がり、無理に奪うなら柱に打ちつける構えを見せます。秦王は壊されるのを恐れ、地図を出させて、渡すという十五の都市を示しました。
ここで終われば、度胸で王を負かした話です。ところが相如は、まだ信用しません。地図の上で指された城と、実際に渡される城は違います。物語には、もう一手が必要でした。
主役が残り 宝玉が先に帰る
相如は、趙王が璧を送り出す前に五日間身を清めたのだから、秦王も同じようにして、正式な儀礼を整えてほしいと求めました。秦王が認めると、その時間を使って、従者に粗末な服を着せ、璧をひそかに趙へ届けさせます。
五日後、儀式の場に現れた相如は、玉はすでに趙へ戻したと告げました。宝玉が先に帰り、使者だけが相手国に残っている。柱の前とは違う緊張が走る場面です。
秦王は、相如を殺しても璧は戻らず、趙との関係まで絶ってしまうと考え、結局、相如を帰国させました。城は趙へ渡らず、璧も秦へは渡りません。取引は成立しなかったのです。
増えなかったが 失わなかった
十五の城は手に入らなかった。それでも、相如は使者としての働きを認められます。ここからは、この結末を私たちなりに考えてみましょう。
「成功」と聞くと、何かを増やし、手に入れる場面を思い浮かべがちです。でも、この話で守られたのは、出発する前から趙にあったもの。相手の約束が実行されない中で、持ち帰るべきものを失わずに戻したことに重みがあります。
柱の前の勇ましい姿だけなら、見どころは一瞬です。そのあと、時間を作り、帰り道を用意したところまで読むと、宝玉を守った仕事の輪郭が見えてきます。私たちが気軽に口にする「完璧」の後ろには、ずいぶん気の抜けない帰り支度があったのでした。
こんなときに、ひとこと
以下は日常場面を想定した創作例です。
① 旅行の荷造りを終え、チェック表を見直す。
「準備は完璧。あとは、この大きさの荷物で『身軽な旅』と言い張るだけ」
② 久しぶりに、目玉焼きが狙いどおりに焼けた。
「今日は完璧。毎日こうなると、私の実力だと誤解しそう」
出典:『史記』巻八十一「廉頗藺相如列伝」。璧の回収、五日間の斎戒を求めたこと、従者による返送、相如の帰国までを紹介しています。原典の自らの命も賭す強い表現は簡略にしました。成功や仕事の評価についての考察は、本稿の解釈です。